HABIT

習慣を身につければ世の中の大体の事はうまくいく

おもしろいマンガを思いつくままに挙げてみる(順不同)

死ぬまでにもう一回読みたいマンガを思い出してみる。

 

ドラゴンボール

ドラゴンボール (巻1) (ジャンプ・コミックス)

ドラゴンボール (巻1) (ジャンプ・コミックス)

 

かめはめ波が打ちたかった。

親父の背中より悟空の背中を追いかけた。

少年時代に夢中になり、人格形成に大いに影響を受けた作品。

憎きライバルの最後にとどめを刺さないという斬新なスタイルは、子供たちの心に本当の正義の意味を問いかけ続けた。

 

 

HUNTER×HUNTER 

HUNTER X HUNTER 1 (ジャンプ・コミックス)

HUNTER X HUNTER 1 (ジャンプ・コミックス)

 

始まりはわくわくファンタジー。

気付くと作者の深い深い思想に吸い込まれていく。

後半になると、そんじょそこらの小説なんかより字数が多い。

小学生には到底理解できない少年漫画。

 

 

グラップラー刃牙

グラップラー刃牙 (1) (少年チャンピオン・コミックス)

グラップラー刃牙 (1) (少年チャンピオン・コミックス)

 

THE マンガ。

爽快感ハンパない。

ページをめくる手が追い付かないほどのスピード感。

作者の「格闘技」に対する愛を痛いほどに感じる。

 

 

 

GANTZ 

GANTZ 1 (ヤングジャンプコミックス)

GANTZ 1 (ヤングジャンプコミックス)

 

初めて読んだ時の背徳感は今でも忘れられない。

一体どんな人生を送ったらこんな事を考えつくんだろう。

いつか自分の子供が出来たら、絶対手の届かないところに置こうと誓った。

個人的にはR18。

 

 

サラリーマン金太郎 

サラリーマン金太郎 第1巻

サラリーマン金太郎 第1巻

 

自分の情けなさを痛感させられる作品。

何度読んでも泣いてしまう。

名作中の名作。

個人的には題名を変えればもっと売れたと思う。「サラ金」て...。

 

 

闇金ウシジマくん

闇金ウシジマくん(1) (ビッグコミックス)

闇金ウシジマくん(1) (ビッグコミックス)

 

リアルすぎる。

登場人物の実際のモデルもいるというのだから、ほぼノンフィクション。

今が人生のどん底だと思っている方にオススメ。

きっと「人生のどん底」を勘違いしている事に気づかされる。

 

 

東京喰種(トーキョーグール)

東京喰種 1―トーキョーグール (ヤングジャンプコミックス)

東京喰種 1―トーキョーグール (ヤングジャンプコミックス)

 

壮大なスケールの設定とその完成度にただただ驚かされる。

怖いものみたさに漬け込むような作品とは完全に一線を画す。

戦闘シーンがとにかくオシャレ。

芸術作品。

 

 

キングダム  

キングダム 1 (ヤングジャンプコミックス)

キングダム 1 (ヤングジャンプコミックス)

 

心が震える。

胸と目頭が熱くなる。

謎のベールの薄皮を一枚一枚剥いでいくストーリー展開が絶妙。

史実がどうのというよりここで描かれている歴史の方を信じたくなる。

みんながみんな一様に「やりたい事を見つけた方がいい」というがそれはそんなに簡単な事ではないはずなんだが...

悩んだ末に

少しだけ何かが見えたような

そんな気がしたような

そうでもないような

でもそれにしがみつくというか

きっかけになればいいなとか

そんなうっすらとぼんやりとした

得体の知れない何か。

 

やりたい事がない

35歳、無職、独身。

そもそもやりたい事なんて一つもない。

過去に何をやりたいか考えようとした事は何度かあった。

でも、いつも見つけられずにすぐにやめてきた。

自分でやりたい事を選ぶなんて自分には出来なかった。

それなりの人にだけ与えられた特権のようなものだと捉えていた。

特に努力もしてきていない、何も考えていないような低俗な自分みたいな人間にそんな選択肢は恐れ多い。

そして、「自ら選択しない」という意思が日本人の古き良き教えである謙虚さだと信じていた。

そうやって自分の正当性を主張してかろうじてバランスを保ってきた。

日本人の美徳という目に見えない足枷に自らを縛り続けてきた。

自分の選択を奪うという事で得られる僅かながらの善。

 

「自分で選択しない」という考えの根幹にあるもの

自分は勝手な人間ではない。

自分は協調性を持っている。

だから、やりたい事をやりたい時にやりたいだけやるなんて事はしない。

自分みたいなものに自由など与えて頂くなんて滅相もない。

 

この倫理観は間違いなく少年時代に身についている。

尖った武器を持つ事よりも、平均的にミスの少ない人間を作り出そうとする学校。

その事が間違っているなんて微塵も疑わなかった。

閉鎖空間で行われ続けている洗脳。

 

そして、これを気付かせてくれたのがロバート キヨサキの「金持ち父さん 貧乏父さん」だった。

 

改訂版 金持ち父さん 貧乏父さん:アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学 (単行本)

改訂版 金持ち父さん 貧乏父さん:アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学 (単行本)

 

 

今まで俺は何をしていたんだ!?

こんな事に気づくまでに35年もかかった..。

いや、人生はこれからだ。

  

 

自分の意思すらない

現在、会社を辞めて3か月が経つ。

退職してすぐは放心状態で何をするべきか全くわからなかった。 

そして、気づけばさも自然の成り行きであるかのようにパチンコ店に通っていた。

最初は勝った。

でも、2か月で勝ち分を全て吐き出した。

トントンになった。

そして、疲れた。

 

勤め人の時には、休日は好んでギャンブルをしていたが、いざ好きなだけギャンブルをしていいとなるとすんなり辞められた。

お金が底をついたわけでもない。

 

きっと自分は真正の天邪鬼。

 

 

次のステージへ

そして、本当に何もやる事がない一か月に突入。

最初は何もしない生活で気が狂ってしまうんじゃないかと思っていた。

..そうでもなかった。

 

 

そして、膨大な自由時間の中である事に気付いた。

「自分には意思がない」

 

こんな重要な事を長年、放置してきた理由にようやく辿り着いた。

そのきっかけが朝井リョウの「何者」に出てくる一節。

 

「大学卒業後の就職とか結婚といったイベントはすべて自分の意志で決定していく事になる」

 

何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

 

 

「自分で選択する力」の圧倒的な欠如

自分は学生時代の考えから全く脱却出来ていなかった。

中学校まではみんなと同じように決められた学校に行った。

高校受験に落ちるのだけは絶対に避けたくて自分が受かりそうな高校を選択した。

周りの目だけを気にしていた。

「少し遠くの高校に行って知らない人達とたくさん会ってみたい」という適当な理由を添えて自分の中の正当性を保ちつつ、それっぽくした。

高校が卒業できそうになると勉強をやめた。

勉強が嫌いになったわけではなく、麻雀がやりたくて学校もさぼりがちになった。

 

何かやりたかった。

何かやりたい事を見つけなければと焦っていた。

そして、ファッションの専門学校に行くことを決意する。

でも親からは反対された。

すぐに諦めた。

「あの時、専門学校に行けていれば」という後悔も特にない。

 

なんとなく大学進学

結局、評定平均がクリアしているという理由で大学の指定校推薦を受けた。

受験勉強もしたくなかった。

正確には受験に失敗するというストレスから逃げた。

今思えばこの頃から「選択」から逃げる習慣(HABIT)が始まっていた。

自分が今まで「選択をしない」という楽な生き方を続けてきた代償が今になって自身にのしかかってきたと考えるようになった。

何かしら自分の人生を見つけて走り出した人達は、そういった人生の選択の場面で苦悩してよく自分の人生について考えてきたんだと思う。

ただそれだけの事なんだと思うと少しだけ楽になれた。

 

 

「自分の意思」を知る

圧倒的な自由時間の中で気付いた事は、今の生活を維持するために仕事を早く見つけなければいけないという事よりも「自分の意志」に気づく事だった。

その為には、圧倒的なインプットが必要だと感じた。

読書、インターネット、動画、テレビ、なんでもいい。

とにかく自分の脳みそに情報を与え続けてみようと思う。

その結果、何かが見えてきそうな気がした。

これは、一か月前の自分の感覚には間違いなくなかった。

得体の知れない何かに向かって進むと決めた。

幼少期に抱いていた本に対する恐怖心はものの見事に知的好奇心へと変換されていました

なぜ人は本を読むのか

  • 本が好きだから
  • 知らない事を学べるから
  • 賢くなりたいから
  • そこに本があるから
  • ワクワク出来るから

 

理由はいろいろ。

 

 

忌み嫌う存在

小学生の頃を思い出した。

そこに図書館がある。

たくさんの本がある。

という事は世の中に本は必要だということだ。

大人たちは本を読むことはいい事だと言う。

読書は大変だ。

だから自分の為になるんだ。

自分にとって辛い事=自分にとって良い事。

逆説的行動。

あの頃は、いつも借りてきた本が早く読み終わる事だけを望んでいた。

本に失礼な事をしていた。

きっと、本からは何も得ていなかった。

 

 

本を読んだという証拠 

僕は小学生の頃、本をたくさん借りていた。

本を借りると図書カードにシールを貼ってもらえるから。

いや、正確には本を借りた証拠を残せたから..。

そして、ほんの少しの優越感に浸ることができた。

ただ、周りの誰かに認めて欲しかっただけ。

 

 

本離れ

それから中学生、高校生となると全く本を読まなくなった。

理由は本以外の何かで自分の存在を示す何かが増えたから。

部活、勉強、恋愛、アルバイト etc.,

なんでもよかった。

誰かに自分を認めてもらえるものを探しては夢中になった。

 

 

活字から得られる快感

でも、社会人になると好んで本を読むようになっていた。

きっかけは「星新一」だった。

ショート・ショートと呼ばれる短編集で純粋に物語がおもしろかった。

 

ボッコちゃん (新潮文庫)

ボッコちゃん (新潮文庫)

 

 

 

本を読めない人

社会に出てから「本を読めない」という人に会ったことがある。

中には漫画すら読めないという人もいた。

そして、その中には「本を読めるようになりたい。」という人もいた。

そんなに人はまず、「星新一」をオススメする。

少なくとも私は、「星新一」から活字を読む快感と本のおもしろさを学んだ。

 

 

自己投資

また、昔読んだ本にこんな言葉があった。

一番安くて効率の良い投資は読書

 

これは、図書館とかで無料で借りられるという意味ではない。

まず、本を出版する人達の目的が本をたくさん売る事である。

そうなれば、より中身の充実した面白い内容の本を書く。

著者の持てる力と知識を総動員して一切の出し惜しみなく書かれているはずだ。

 

 

なるほど。

非常に納得したのを思い出した。

なぜなんだ?どれだけ頑張っても着順が伸びないし安定もしてくれない

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みんな悩んでいる

ちょっと勝ちが続くと

「こうやれば勝てるんだ!」

と、理解したつもりになってすぐに同じやり方で大負けして、訳が分からなくなるのが麻雀です。

どんなに真剣に考えても、どんなに苦しんでも思うように勝てないのはなぜでしょう?

 


 

答えは明確。

『他の人はもっと考えて苦しんでいる』からです。

 


 

いきなり血も涙も無い事を言ってしまいましたが、これが麻雀における真実だと思います。

 

苦しみ方が分からない

『何をどう鍛えたら麻雀は強くなれるのか?』

この問答に苦しんでいる麻雀打ちは、私を含め日本に何万人もいることでしょう。

 

「麻雀が強くなれるんだったらこの草だって食ってやるさー!」

これは『あぶれもん』という麻雀マンガの主人公が、泣きながら道端の草を土ごと食べているシーンです。

なんの脈絡もないところから、このシーンに行くのでほぼサイコです。

しかし、私の目には麻雀打ちの心境を見事に表現している名場面に映りました。 

 

「理屈では片づけられない何か」

が存在するんだという作者の強いメッセージを感じずにはいられませんでした。

 

理屈で片づけられる部分

しかし、一方で麻雀には理屈で片づけられる部分もあります。

雀力はよく左脳と右脳に分けて考えられます。理論や理屈は左脳に詰め込んでおいて、場面場面で反応出来る感覚を右脳に叩き込むといったイメージです。

 

「麻雀が理不尽なゲームだ」

という前に、このステップは最低限クリアしている必要があります。

もし、次の三つに当てはまる項目があれば、やるべき事は明確です。麻雀の参考書を読むなり、ゲームなどで徹底的に反復練習あるのみです。

  1. 点数計算が出来ない
  2. 多面待ちが分からない
  3. 牌効率が理解出来ていない

 

基本は出来ているのか?

先日、行きつけの雀荘のメンバー(麻雀プロ団体に所属)に、こんな事を言われました。

 

「〇〇さん(私の名前)て、しっかりした麻雀打ってるのになぁ...」

 

「のになぁ」...?

 

え?何!?

私、もしかして遠まわしに成績の悪さを指摘されてます?

 

この時は、私に対しての彼なりの精一杯の賞賛として丁重にお受け取りしました。

 

でも、もしかしたら本当は

「そんな行儀のいい麻雀じゃ勝てないよ」

と伝えたかったのかも知れません。

 

もしくは、ただの店員としてのリップサービスだったか...。

(この線が一番有力?)

 

いずれにしろ、自分が打てると思ってる人に自分の麻雀についてコメントしてもらう事は嬉しい事です。

 

辿り着いた思想

私はこのメンバーの一言で、基本をマスターしただけでは勝ち組にはなれないという事を悟りました。そして、悶々と悩み続けた末に次の二つの思想に到達しました。 

  1. 「どうやったら麻雀が強くなれるか」を考える事自体に価値がある
  2. 「どんなに努力しようが結果に結びつかない事もある」と、理解している事が次に繋がる

 

運のゲームとしたらそこで終了

いくら偶然性の高いゲームだと言っても、長い目でみれば強者と弱者は明確に区別する事が出来ます。

だからこそ、努力する意味があるのです。

そして、思うようにいかないからいつまでも考え続けるし、挑戦するのです。

 

麻雀との付き合い方は人それぞれ  

「麻雀は娯楽」だと主張する人もいれば

「麻雀は人生」だと謳う企業家もいます。

  

強くなれない事に悩み続けていく事自体が、人生にとって意味のある事のように思えてなりません。その時の敗北は、その時の自分の至らなさだと受け止める事が真の強さという事で今日のところは結論付けてもよろしいでしょうか。

先制リーチを打たれた時に「考える事」と「対応策の量」が圧倒的に違う

 

思考回路.jpg

未熟だった頃の我が思考

先制リーチを打たれた時にまず何を思いますか?

自分が麻雀を覚えたての頃は瞬時にこんな考えで頭が一杯になりました。 

  • 「先を越された」
  • 「早くしないと先に和了られてしまう」
  • 「ツモられる前に和了らなければ」
  • 「急がなきゃ」
  • 「自分がなんとかしなきゃ」

 

追い詰められたその先

こうなると、以下のような負のスパイラルにハマっていました。

  • 自力でツモれそうなところでも焦って鳴き散らかす
  • 無筋や危険牌を切ってでも前に出る
  • 放銃する
  • 実際は自分が前に出なければ流局だった
  • もしくは誰かが放銃していた

今になって冷静に考えてみれば当たり前の展開です。

 

麻雀は4人でやるゲーム

場数を踏んでいない人たちの共通点としていえるのは

「リーチが入る=和了られてしまう」

という焦りの感情が色濃く出るように感じます。

さらに、なぜかリーチ者と自分の二人しかいないような感覚で闘牌を繰り広げる方も多いような気がします。

 

経験がもたらす心の余裕

一方、熟練達の思考回路はこんな感じでしょうか。

  • 「先を越されたか」
  • 「押さえつけの愚形リーチかな」
  • 「自分の手牌に赤もドラもないし引き気味に行くか」
  • 「ドラ3赤3なんでガンガン行きますよ」
  • 「こちらもイーシャンテンだし、一牌くらいは押してみるか」
  • 「自分の余剰牌が全て通りそうだから押してみるか」
  • 「他家がリーチに押しているから自分は引くか」
  • 「安全牌を切る事で完全後退にはならなそうだからまわりながら様子見かな」
  • 「道が開けるまで引き気味に打とう」
  • 「最悪ツモられても放銃は避けるべき局面だな」

とにかく選択肢が多いです。

 

半荘で括られたゲーム

また、強者は一局一局で結論を出さない傾向が強いとに言えます。オーラスまでの試合運びをいくつも想定している為、局の途中にもたくさんの選択肢を用意する事が出来るのです。道中のバイマン放銃くらいでは微塵も心は揺らぎません。

 

オーラスの重要度を知る

オーラスでギリギリひっくり返せるくらいの余力を残した試合運びを、故意にしているような猛者にも時折出会います。終わってみれば「あの放銃はトップを取る為の布石だったんじゃないか」とまで考えさせられる事があります。

 

色々起こるのが麻雀 

一局一局の展開で一喜一憂しないのが強者です。麻雀は偶然性の高いゲームだと熟知しているからこそ、イレギュラーや本来はあり得ないセオリーに反した事象にも冷静に対応出来るのです。

また、熟練者は「経験」という多くの引き出しから、今の戦況からの次の展開を読む能力にも長けているとも言えます。

 

もっと高くから俯瞰している

強者のイメージを言えば

「遥か上空より全体の状況を掴んでいる鷲」

と言った感じでしょうか。

凡人は戦況を「平面(二次元)」で捉えているのに対して、強者は「立体(三次元)」で把握しようとしていると言えるのかも知れません。

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【実戦編】ダマで嶺上開花(リンシャンカイホウ)した人は前巡必ずテンパっているか?

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オーラスのアッツいまくり

先週末、こんな手を和了りました。

 

南四局(オーラス)

南家

ドラ五索

持ち点:28,900点

トップ目(東家):39,800点

トップ条件:満ツモ or ,5200直 or ハネ満出和了

 

四萬四萬四筒赤五筒六筒四索赤五索西西西裏赤五萬五萬裏ツモ六索

「3000・6000の3枚オールです。」

(もちろんいつもより一層低い声で渋く申告)

 

でも、心の中は叫びたい衝動を抑えるので精一杯です。

「ヒャッホー!大マクリだぜー!ヒャッホッホー!!」

 

そして訪れる「質問タイム」

清算終了後に同卓していた対面のメンバーが一言、

 

メンバー「役ナシでテンパってたんですか?」

自分「え、、、う、うん。」

 

あまりに熱いマクりだったので記憶の整理が追いつきません。状況から言っても、リャンメンテンパイの役ナシをダマにする訳がありません。よくよく冷静になって思い起こしてみると、やっぱりテンパイていませんでした。

 

では、どんな牌姿で最後にツモった牌はなんだったのでしょうか?

蘇る記憶

正解は

四萬赤五萬五萬五萬五萬四筒赤五筒六筒四索赤五索西西西

 

この手牌であれば当然カンはしない訳です。

そして、実戦では四萬をツモって五萬をカンしたという訳です。

 

こんな場合もカンはしません

では、こんな牌姿の場合はどうでしょう?

四萬四萬赤五萬五萬五萬五萬四筒赤五筒六筒四索赤五索西西

これも三萬六萬引きがある以上、四萬西を引くまでは五萬のカンはするべきではありません。

 

さらに、もし先に三索六索が埋まったら四萬切りリーチまで選択肢に入れておきたいですね。

四萬赤五萬五萬五萬五萬四筒赤五筒六筒四索赤五索六索西西

 

今日の教訓

暗槓後に嶺上開花和了った人は必ずしもダマでテンパイしていたワケではない。

どれだけ冷静でいられるか?ギャンブルを嗜む上で絶対に携帯してはいけない感情

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名言『怒りは敵と思え』

これは徳川家康公の名言です。 勝負師たる者、いつでも胸に刻んでおきたい教訓の一つです。 まず、第一に感情の起伏が激しい人は勝負事には向きません。

 

博打に向かないのは男?女?

女性は「感情の生き物」と言われます。これだけでも、女性が博打に向かない事は明らかです。また、アツくなりやすい人は総じて、博打の負けをさらに大きくする傾向が強いと言えます。

 

勝ちは常に負けの上に成り立つ

博打においては勝ち負けが存在します。 勝つ人がいるから負ける人がいます。 勝つ日があれば負ける日もあります。 常に勝ち続けられればそれに越したことはありませんが、そうはいきません。

 

逃げるが勝ち

そこで、絶対的な勝ち組の条件があります。

『負け逃げが出来る』

博打を語るにはこの一言につきます。

 

「今日は勝てなかったから明日またやり直そう。」

「この相手には勝てそうもない、これくらいの負けで済んで良かった。」

 

と、勝ち組達は決して負け分をその日の内に取り戻そうとアツくなったりしません。

 

博打だけに限らない

相場の世界にも『一に損切り、二に損切り、三に損切り』という格言があります。

 

追っかけちゃダメなんです。

夢を見ちゃダメなんです。

 

勝負師の世界で生き残れる者達はリアリストの集まりです。 アツくなる事で、負けが負けを呼び、負の連鎖を引き起こす事を今までの経験から体で覚えているのです。

 

別に卑怯者という事ではない 

当然、勝ち組達は「勝ち逃げ」も得意です。勝ち組達は勝っても負けても逃げ回っているような言い方をしてしまいましたが、単純に引き際を知っているという事です。また、その手の種類の人間はあらゆる感情に振り回されない圧倒的な冷徹さを身に付けているとも言えます。

 

引き際が分からない 

『賭け事には終わりがない』

これも私の好きな博打の名言です。

勝てば勝ったで欲が出て、負ければ負けたで取り戻そうとムキになる。 結局、体力が続く限り時間の許す限り勝負を続けてしまいます。 しかし、これこそが博打の魔力です。

本当の敵は自分の心に住む怒りという感情だという事を、家康公も後世の勝負師達にきっと伝えたかったのでしょう。