それには呼び名がなかったから僕はそれを「中年無業者」と呼ぶ事にしたんだ
支配からの卒業
ついにギャンブルをやめた。通称、金賭自堕落無駄時間興奮遊戯からの卒業。そう、それはまさに「支配からのそつぎょう〜♪」尾崎豊が生きていれば、きっと自分だけの為にあの切ない歌声を聞かせくれたに違いない。これからはもう空き時間にギャンブルをする必要はない。「もう戦わなくてもいいんだね..」妙に切ないそのフレーズがよほど気に入ったのか、物語の主人公を気取る中肉中背は何度か口ずさんでみた。そして静かに戦いの螺旋から身を引いた。
中年無業者
賭博重度依存にとって博打がない生活はパニックを起こすのに十分過ぎた。まず、何をするべきなのかが分からない。会社員であれば朝起きて会社に行けばいい。だけども僕には仕事がない。そう、無職なのだ。とうとうニートか..。ニートってなんだ?ふと、語源が気になってググってみる。
NEET:Not in Education, Employment or Training
就学、就労、職業訓練のいずれも行っていないことを意味する用語。日本では、15〜34歳までの非労働力人口のうち通学・家事を行っていない者を指しており、「若年無業者」と呼称している。
おい、まてよ!「若年無業者」って何だよ!「15〜34歳まで」ってどういう事だよ!俺だってまだピチピチの35歳だぞ。なんなんだ!この今までに味わったことのない種類の衝撃は!そうか、この国は自分みたいなものを呼称する言葉すら必要ないというのか。いいだろう、そっちがそう出るならこっちはどこにも出ないでアパートに引きこもってやる。こうして、名も無き男は自らを「中年無業者」と呼ぶという些細な抵抗で溜飲を下げた。
社会不適合者
だが、中年無業者の存在を世間様が許すはずがない。日本の国内総生産に全く寄与しないこの下等生物をきっと一様に害虫扱いすることだろう。そして、その凍てつく程に冷たい絶対零度の視線に耐える術を僕は持ち合わせていない。一刻も早く何かアクションを起こさなければ。とりあえず「ギャンブル以外に夢中になれる何か」を見つけよう。ん?何かってなんだ?皆々様は一体何をする事で人生をエンジョイしているんだろうか?皆目見当もつかないのですぐに想像するのをやめた。まさにこの一連の言動サイクルこそが社会不適合者のそれである。世間からの距離を置きすぎてコモンセンスが完全に欠落してしまっている。こんな時は基本にかえろう。よし、腹が減った、飯でも食おう。まずはそれからだ。
食って寝るだけの生活
腹が膨れると、松下幸之助のいう天地自然の法に従って睡魔が襲ってきた。横になるとすぐに眠りに落ちた。そういえば「食ってすぐ寝ると牛になる」って田舎の母ちゃんが言ってたっけ…。おぼろげな夢を見ながら現実と夢の世界を行き来していると、私は人類史上まず望まれてこなかったであろう願望を呟いていた。
「私は牛になりたい。」
一体、牛になって何をしようというのか。願いは受け入れられるわけもなく否応なしに現実の世界へと連れ戻される。目が覚めるといよいよ本当の恐怖が襲ってきた。
頂点の切っ先
こんな生活が続けられるわけはないのだ。そりゃあ歴史を遡ったり、世界の国々に目を向ければ食って寝るだけの生活文化もあるかも知れない。でもここは日本だ。ましてや2017年である。文明開化につぐ文明開化によって開化ラッシュの進化形のその先の先端のとんがった頂点の切っ先だ。ITとITが衝突と迎合を繰り返し複雑に絡み合ってはまたほどけていくというそんな時代なのだ。己と社会との間に隔たる壁の高さを想像すると絶望の二文字以外に思いつく言葉はなかった。なのでしばらく部屋の隅で膝を抱えて震える事にした。
一大決心
人間というのはつくづく不思議な生き物だと思う。部屋の隅で膝を抱えて震えるという行為で何かが生み出される可能性は限りなくゼロに近いという事を本能が脳に直接訴えてきてくれたのだ。「社会に適合できない」&「時代に乗り遅れすぎた」というこの二つのスペシャルなコラボレーションが功を奏したのか男はついに行動を起こす決心をした。「よし、TSUTAYAに行こう!」それは、中年無業者という新人類にとって歴史に残る記念すべき第一歩となった。
十分な時間とお金をかけてショックを与えたら自分の本当の意志が見えてきた
一に仕事で、二に睡眠
人生を振り返る。まず、何よりも仕事を最優先に考えて生きてきた。そして、その仕事のパフォーマンスを維持するために、睡眠時間を確保するように心掛けた。当然、遅刻も欠勤もしなかった。数字の成果もそれなりに示せる優秀な社員だったと自負している。(自負るのは本人の勝手)
三四がなくて、五にギャンブル
だが、仕事と睡眠時間以外はすべてギャンブルに充てていた。なぜか、何もしていないと時間を無駄にしているという感覚があった。当然、ギャンブル以外にもいくらでも健全な趣味はある。それでも、ギャンブルを優先していた最大の理由は「常にお金が出入りする」からだった。この感覚は仕事においても同様で、お金が動いてる時は謎の安心感に満たされていた。社会人一年生から「空き時間のギャンブル」が習慣化していた。
三冠達成
先日、訳あって仕事を辞めた。そして、ついに【中年】【未婚】【無職】の三冠を達成した。(もちろん彼女もいない)これをピンチと考えるか、チャンスと考えるかは人それぞれだろう。ちなみに貯金は250万円。
この状況、考え方次第では日本の35歳における最長自由時間保持者という事にはならないか。トップだ。王だ。いや、神だ。何物にも邪魔されない完全なる自由を私は手に入れたのだ。何をしてやろう。そうだ、ギャンブルをしよう。きっとこの状況はギャンブルをすべきなのだ。ガハハ...。
実験開始
半ばヤケクソの領域を遥かに超越した中年の決意は、ただの自暴自棄のようにも見える。しかし、これは彼なりに考えた一種の荒療治なのだ。今、ここで自身におけるギャンブルのポジショニングを正確に把握出来ない事は死をも意味する。わずかに残された本能で、迫りくる身の危険をかろうじて感じ取っていたのだ。
「自分は好きでギャンブルをやっていたのか?」
「これから先の人生もギャンブルを続けていくのか?」
セミリタイア疑似体験
そして、とうとうギャンブルオンリーの生活が始まった。仕事もない。家族もいない。賃貸アパートに一人暮らしの未婚の中年野郎の行く末を心配してくれるのは遠く離れた田舎の両親だけだ。それでも、彼は戦う。そこに希望がある限り。
...いや、まてよ。これは世間でいうところの、セミリタイア疑似体験とも言えるのではないか。プチセレブというやつなのか。そうか。そうなのか。そうに違いない。グァハハハッ!
背中を向け、握りしめた拳を振り上げると聖戦士はいつ終わるかも分からない過酷な戦場(パチンコ店)へと旅立っていった。
預金残高100万円
気付くと、三か月が経っていた。ガクガクと震えるその手には印字したばかりの通帳が握られている。「お預かり金額」の記載は【100万円】。三か月前には間違いなく250万円だった。あまりのショックに鎖骨のあたりから地面に崩れ落ちそうになっていた。
他にも色々あったもん
実際は、家賃や生活費、区民税や年金等の支払いもあった。そうだ、食費も含めれば、ギャンブルの負け額は90万円ほどだ。「なんだ90万円かぁ。」と、この世のものとは思えない程、無残な負け惜しみを吐き捨てると中年はようやく夢の国から舞い戻った。しかし、それも束の間、電卓すら使わせてくれない「三か月で90万負け」というキリの良い数字が激しく全身に襲いかかってくる。「毎日必ず1万円負ける」という偉業を達成したときに与えられるもの。それは衝撃だ。ショッキングではなくショックそのものだ。いわゆる衝撃の核みたいなものだ。しかし、このショックとやらはのど元を過ぎて肛門の辺りまでくるとリアクションが取れないみたいである。
「ふーん」
何が「ふーん」なのか。とうとう気がふれてしまったみたいだ。
覚醒の時
放心状態から解き放たれると、今起きている現実をゆっくりと把握した。さらに、90万円という負け額を奥歯の奥の奥で2時間ほど噛み続けてみたが、跡形もなく消え去るというような事は断じてなかった。しかし、不思議とその負けを取り返そうという考えには至らなかった。そう。人智の理解を超える衝撃は、人一人の思考回路を破壊するのには十分過ぎるエントロピーを兼ね備えていたのだ。ここに一人の男が覚醒した。ようやく気がついたのだ。自分はギャンブルに夢中になっていたわけではない。ただ、人生の空き時間を適当に埋める方法としてギャンブルを選択していただけに過ぎなかったのだ。
「未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ」
辿り着く先
やさしい人は、人とふれあって生きている。
やさしい人は、「今が今」だと感じて生きている。
ふと、ホリエモンの言葉を思い出した。
「成功の秘訣は人に会うこと」
「未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ」
やさしさとは対極にいそうな人なのに、思想を極めると辿り着く先は同じなのだろうか。もしくは、ホリエモンが「やさしい人」なのだろうか。
やさしい人の定義
- ふれあうことでエネルギーが出る。
- いっぱい涙を流す。
- 自分の許容範囲を超えることをしない。
- 無理がないから、いつも心にゆとりがある。
- 信頼する人がいる。
- 愛する人がいる。
- 安心している。
- 自分に自信がある。
あぁ、一刻も早く「やさしい人」に私はなりたい。
やさしさには二種類ある
幸せになるためには「本当のやさしさ」と「偽りのやさしさ」とを見分ける能力がなければならない。
- やさしさを売り込む人は、たいてい騙す人である。
- やさしさを演じる人は、相手をイライラさせる。
- やさしさとは人を小馬鹿にしないこと。
- 誇示されたやさしさは冷たさである。
「偽りのやさしさ」は世の中に溢れている。
幸せになるために必要なのは「本当のやさしさ」
自分の好きなものを見つける
やさしくなれるか、なれないかで大切なのは
「これさえあれば、あとは何もいらない」
というようなものを、その人が持っているかどうかである。
言われてみて気付く。夢中になれるものが思い浮かばない。今までの人生で、自分が時間を割いてやってきた事が
「本当に心から夢中になっていたか」
を確かめる必要があると思った。
「やさしい人」に出会えて自分の中の何かが変わりそうな予感
求めていた本
なんとなく立ち寄った近所の書店。店舗入り口にうずたかく積み上げられた売れ筋の本を、手当たり次第めくってみるが、どれもピンとこない。それでも、今の自分に必要な本に会いたくて店内を徘徊し続ける。
やさしい人
ハッとした。一瞬、表紙に書かれた題名の文字を文字として認識していない感覚に陥る。自然と目の前の棚に手が伸びていた。もし、本屋において気になる本を見つけた時の動きの模範があるとしたら、その動きはきっとそれに限りなく近いものだったはずだ。
直感を語る人
「あ、自分はこの人と結婚するな」
みたいなコメントをしている人を、テレビで何度か見た事がある。私は未婚であるため、そんな経験はない。しかし、この時は
「あ、自分はこの本を買うな」
と、確信していた。
誘(いざな)われた
とはいえ、私はそんなに後先を考えないで行動できるほど大胆な人間ではない。もちろん、適当に本を買えるほどの経済力も持ち合わせていない。はたまた、宗教関連の洗脳系の本の可能性だって否めない。とりあえず、確認の為に1ページだけ開いてみた。
「やさしい人は、人とふれあって生きている」
今の私には十分すぎる一行だった。よく言い表せないが、ページを開く前にこんな事を書いてあって欲しいなという期待を1ミリたりとも裏切らなかった。なにしろ私はここ2か月まともに人とふれあっていない。そうして一秒とかからずに、私はめでたく「やさしい人」の世界へと誘われた。一瞬、地に足がついてないような不思議な感覚だった。意識が戻った時には既にレジで会計を済ませ、帰路についていた。
胸に刺さる言葉の数々
家に帰って読み始めると、ページをめくる手が止められなくなった。刺さる言葉を一つ一つ大事に噛みしめた。救われた気分と、前に進む勇気で心が満たされた。気付くと4時間ほど経っていた。久々の一気読みだった。
ドッグイヤー
翌朝、目が覚めるとなぜかもう一度読み返していた。今度は、刺さる言葉にピンクの蛍光ペンでアンダーラインを引いた。そして、そのページの端を折った。本はドッグイヤーのせいで厚みを一割ほど増した。
幸せになるために
幸せになりたかった。物心ついた頃から幸せを追い求めていた。でも幸せが何か分からなかった。
幸せになるために必要なのは「本当のやさしさ」
表紙にはこう書かれている。
多分そんな気はしていた。やさしさが善である事は分かっていた。きっと地球の裏側か宇宙の果てのどこかあたりで幸せとやさしさは繋がっているものだと勘ぐっていた。それなのに、大人になって何かに追われ続ける日々の中で「やさしさ」から遠ざかってしまっていたような気がする。きっと、この「何か」の正体が分かれば幸せになるヒントを掴めるはずだ。
自分の幸せについて、もう一度じっくり考えてみようと思った35歳の春。
子供に対して敬語であいさつが出来ない大人の思考回路とメカニズム
- とある朝の風景
- 理想とする形
- ただ迷っているだけ
- 悪気はない
- 想像してあげる
- 自分中心で考えない
- 今日の積み重ねが明日になる
- 大人の責任だと捉える
- 無意識のうちに
- 敬語が使えない大人
- 偉いかどうかは誰が決める?
- ルーツを考えてみる
- 見栄の張り合い
- 常に自分を戒めて生きていく
とある朝の風景
土曜日の朝8時。自然と目覚めた私は、今日が燃えるゴミの日である事に気付く。
「まだ間に合うな」
ゴミ出しを終え、戻るついでに自販機で缶コーヒーを買ってそそくさとアパートに戻る。するとガラス張りの施錠式のドアの向こうに、小学校高学年くらいの男の子が見える。鍵を開けて中に入る。
「おはようございます」
こちらから、あいさつをした。出来るだけ威圧的にならないようにと、聞こえるか聞こえないかギリギリの控えめな声に彼はペコリと会釈だけ返した。
理想とする形
世間的には、子供たちの元気なあいさつに大人が返すのが理想的なのかも知れない。もちろん、子供たちの方から笑顔で元気よくあいさつしてくれる事もある。そんな時はテンションMAXになって、相手の声量の120%であいさつを返す事になる。とても気持ちがいい。「きっと今日はいい一日になる」
ただ迷っているだけ
でも、実際はこんなパターンもある。こちらの存在には気付いているが、あいさつするべきかどうかを迷っている。チラチラと上目遣いで様子をうかがっている。そんな時は、こちらからあいさつをする。そうすると、大体は笑顔で元気なあいさつを返してくれる。これもとっても嬉しい。
悪気はない
そして、3つ目が今朝のパターン。ただ恥ずかしがっているのなら問題はない。でも、もし知らないおじさんが危ないという認識だとすれば少し悲しい。私が目指すところは、こういった子供の反応に対して負の感情を抱かない人間になる事だ。つまり、それはあいさつを返してくれないからといって、いちいちがっかりしないという事でもある。
想像してあげる
これは、感情を無にするのとは少し違う。子供のリアクションには意味がある。
- 「親のいいつけなのかな」
- 「何か嫌な事があったのかな」
- 「たまたま聞こえなかっただけなのかな」
理由を想像してあげるだけでいい。こちらが大人なんだから。
自分中心で考えない
こういった場面で、あいさつも出来ないなんて親や学校はどんな教育をしているんだと嘆いてみても意味がない。はたまた、その子を引き留めてどうしてあいさつが出来ないのかと問いただすのはもっと違う。下手をすると、近所の変わり者という扱いを受けてしまうだろう。では、どうしたらいいか。
今日の積み重ねが明日になる
次に会った時、前回と同様にこちらからあいさつをすればいいだけ。何回かあいさつをしていれば、向こうもこちらを覚えてくれる。その繰り返しで、あいさつのやりとりはよりスムーズになる。ただ、それだけの事。
大人の責任だと捉える
そもそも、あいさつを完全ノーリアクションでスルーする子供なんてそれこそ数えるほどしかいない。また、そうなるにはそれなりの原因が過去にあったに違いない。子供は周りの環境をダイレクトに受けて人格形成をする。そして、形成される人格の核は大人のそれより、はるかに柔らかく影響を受けやすい。だからこそ、大人たちの責任は重い。
無意識のうちに
とはいえ、自分にもそれだけのやりとりが出来ない時期があった。その理由について考えてみると、どうやら単純ではないように思う。まわりの大人が、あいさつを返してくれなかったせいかも知れない。あいさつを無視された時の、あのみじめな感じを想像すると耐えられなかった。でも、よくよく振り返ってみると社会に出てからの環境による影響が強かったようにも感じる。気付くと、自分は自らあいさつをしない人間になっていた。
敬語が使えない大人
子供の時に触れ合った大人たちはみんな偉そうだった。親も先生も近所のおじさんも。だから、大人に敬語であいさつされた記憶はほとんどない。大人になったら子供に対しては「偉そうにしなければならない」というルールでもあるのかと、卑屈な考えを持っていた。
偉いかどうかは誰が決める?
大人になって思う。あれは威厳を保つためにしていただけ。子供たちにナメらないために虚勢を張っていただけ。自信がないから偉そうにすることで、自分の地位を高めようとしている。「本当の大人」を理解している人は、不必要に偉そうにしない。偉いかどうかの基準は決して主観的なものではない。それは周りが決めるもの。
ルーツを考えてみる
目上の人間を無条件に敬うという行為の根底には、仏教や儒教の教えがある。また、戦争を経てその教えは形を変え、教育やスポーツに影響を及ぼした。スポ根時代の終焉に身をおいてきた自分にとって、あいさつは後輩からするのが常識だった。たとえ先輩が先に気付いていても、それは揺るがない。でも、学校や部活で習った常識は世間には通じなかった。そして、新社会人になるとおかしな価値観が身についていた。
見栄の張り合い
行動を支配していたのは虚栄心だった。どこぞの田舎ヤンキーの如く「芋を引けない」という固定観念。こちらからあいさつをするという事は、こちらが格下である事を認めてしまう。社会に出てからは実力主義なのだから、年上でも自分の方が役職が上であれば自分の方が偉い。だから、あいさつもこちらからすればナメられる。いかに自分を実際のサイズより大きく見せられるかが勝負だった。
常に自分を戒めて生きていく
本当は気付いた方が先にあいさつするべき。とはいえ、見知らぬ子どもに「おはよう」というのもなんだか偉そうである。だからこそ、対等な立場で敬語であいさつするべきだと思う。そこに、目上や目下とかはない。しかし、目下の人間がこれを言ってはいけない。目上の人間が言うから筋が通る。なんとなく生きていれば、無意味に偉そうにする大人になってしまう。そうならない為には、謙虚に慎重に年を重ねるべき。
これからも定期的に自分を戒めていこうと誓った。
パチンコ未経験者より、やった後にその無価値さに気付けた人の方が安全説
あなたはどのタイプ?
あなたは以下のうち、どれにあたりますか?
1.パチンコをやった事がない
2.パチンコをやっていたがやめた
3.パチンコをやって勝っている
4.パチンコをやって負けている
現役引退後の落とし穴
一見、1番が正解のように見えますが、パチンコがどういうものか全く分かっていない場合には注意が必要です。なぜなら1番を選んだ人は、これからの人生でパチンコにハマる可能性を残しているからです。パチンコ店では、身なりのきれいなご高齢の方をよく見かけます。現役引退後に悪い友達にでも教えてもらったんだろうと、ついつい想像してしまいます。そうなると、2番が一番安全だと思えてならないのです。
パチンコ店だらけの国
パチンコ業界の衰退が取り沙汰されて久しいですが、それでも全国に10,000店舗以上存在します。
※ピーク時は1995年(平成7年)で18,000店舗以上。
また、パチンコ店は駅前に乱立しています。その為、外出すれば必ずと言っていいほどパチンコ店を見かけます。日本に生まれたからには、パチンコの存在を知らないで人生を全うするのは難しいと言えるでしょう。
パチンコの遊戯人口
パチンコの遊戯人口はピーク時の1995年で約2,900万人、売上が約31兆円でした。それが、2015年には遊戯人口が約1,070万人、売上が約23兆円となっています。
ん!?
なんでしょう、この違和感は?
ここ20年で遊戯人口は37%まで減少したのに対し、売り上げは75%の減少でとどまっています。つまり、1995年には一人平均約106万円だったのが、2015年には約217万円となっているのです。単純に倍以上です。言い方を変えると、パチンコ業界を支える人たちの負担が倍になったという事です。
平均所得から考えても異常な数値
冷静に考えてみてください。パチンカーは年間平均で200万円以上負けています。ちなみに、1995年当時の日本人の平均所得は457万円でした。その後、減少傾向で2015年の日本人の平均所得は415万円となっています。手取りで考えたら300万円くらいだと思います。その中から200万円を使ってしまうのはどうしてでしょうか?
趣味ではなく博打
答えは単純です。ギャンブルだからです。勝てばいいと思っているからです。しかし、現実は残酷です。日本のパチンカー達は平均で毎月17万円負けているのです。
ゴト師の存在
もう一つショッキングなお話です。世の中には、出玉を不正に搾取するゴト師と呼ばれる集団がいます。私は過去にホールスタッフを経験しましたが、そこまでするかというくらいゴト師を警戒していたのを覚えています。被害額は年間で数千億円とも言われています。言わずもがな、ゴト師による被害額はすべて善良な市民の出玉で調整されてしまうのです。
奇跡の人
もちろん、例外もあります。パチンコ漫画家の谷村ひとしさん(63歳)は生涯で7,000万円以上勝っているそうです。1994年から始めたそうなのでパチンコ歴は23年です。平均で毎年プラス300万円以上です。本人が楽しんでいるので、他人がとやかく言う事ではないと思うのですが、それでもどうかと思ってしまうのです。
選ばれた人でさえ
個人的には生涯パチンコで勝ち越す事は、宝くじに当たる事よりも難しいと感じます。勝つ事が難しいというよりは、勝ち続けるバランスを保つ事が難しいと言った方が正しいかも知れません。勝てるからやるというのは至極まっとうな意見です。しかし、そんな奇跡を起こした偉人でもパチンコ年収が300万円というのが現実なのです。
それはパチンコでなければダメなのか
大金を手にした時の快感は分かります。でも、それは博打の魅力です。パチンコの魅力はなんですか?パチンコは博打をするツールに過ぎません。
パチンコで得られるもの
そもそも、パチンコで得られるものはなんでしょうか。あれだけの騒音と強烈な光を浴びて得られるものはなんでしょうか。パチンコで心が安らぐ人はいるのでしょうか。ストレス発散の趣味だと断言できますか。あくまでパチンコを娯楽とポジショニング出来ている方はどれくらいいるのでしょうか。
知識と経験と技術
私は、パチンコにおける知識や経験が後世、役に立つとは思えないのです。過去には、玉の打ち出しのタイミング等で大当たりを狙える台もありました。ですが、そんな技術介入が出来る台はすぐに撤去されてしまいます。業界も経験を元にそういった台の審査基準を厳しくしていきます。
TIME IS MONEY
勝てるか負けるかの問題ではないのです。そもそも時間が失われてしまうのです。人生における時間は有限です。パチンコの時間を使って出来ることはきっと無限にあるはずです。
それでもあなたはパチンコをやり続けますか?
今の状況を打破したい、何かを変えたいと悩む全ての人におくる刺激物十選
偉人達が教えてくれる
もう終わりにしたい。
この先、生きていく事が不安で仕方ない。
人生とは一体なんなのか。
自分という人間が何者なのか。
もがき苦しんでいる人へ送る刺激物十選。
吉村実(吉村家創業者)
ラーメン屋になりたいと思わなくて本当に良かった。
これを見たら自分の仕事の文句なんて口が裂けても言えない。
本気という狂気。
吉村実の背負った過去の人生の壮絶さは想像すら出来ない。
クレイジージャーニー
自分のやりたい事を命懸けでやる人達を紹介する番組。
しかし、果たして本当に彼らがやりたくてやっているのかを考えさせられてしまう。
それぞれのクレイジー達が過去に苦しんで導き出したであろう自らの生きる道。
ああ、きっとこの人達が人生の勝ち組だ。
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学校教育の全否定。
「儲けたい=罪悪」という方程式を持っていた自分の頭に雷が落ちた。
本当の意味での資産運用とは何か。
「お金は手段」「お金はツール」この意味が分かれば一歩前進。
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不良達のただの喧嘩自慢と思うなかれ。
人生において失敗が必要だという意味を彼らが体を張って教えてくれる。
敗者が自分の至らなさを責め続けるというギャップに胸キュン。
格闘技の枠を超えた人生ドキュメンタリー。
ひろゆき(2チャンネル創設者)
論理的主張の権威。
youtubeとかで動画を見まくったが、過去の感情論でねじ伏せてきた自分のスタンスが恥ずかしくて、一瞬この世から消えてなくたりなくなった。
強烈に惹きつける魅力は圧倒的情報量とブレない理屈。
脳みそは生きているうちに使おうと思わせてくれる人。
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平均睡眠時間45分。
人間の無限の可能性を教えられる。
「夢を見せられる数」が重要という理論はビジネスに通じる。
夢を追い続けるリアリスト。
松下幸之助
いわずも知れた経営の神様。
仕事が何なのか分からなくなった時に読み漁ったが、最終的には人生の指針となった。
自分の理念を確立したければ読むべし。
道がひらける。
サラリーマン金太郎
自分の情けなさを痛感させられる作品。
何度読んでも泣いてしまう。
名作中の名作。
個人的には題名を変えればもっと売れたと思う。「サラ金」て...。
闇金ウシジマくん
リアルすぎる。
登場人物の実際のモデルもいるというのだから、ほぼノンフィクション。
今が人生のどん底だと思っている方にオススメ。
きっと「人生のどん底」を勘違いしている事に気づかされる。
アルフレッド・アドラー
「怒りという感情はいらない。」
こんな簡単な事も知らないで生きてきた。
周囲の環境に迎合して生きる事を本能的に善とする風潮を否定する勇気。
子供の教育に迷ったらまた読み返したい。