なぜなんだ?どれだけ頑張っても着順が伸びないし安定もしてくれない
みんな悩んでいる
ちょっと勝ちが続くと
「こうやれば勝てるんだ!」
と、理解したつもりになってすぐに同じやり方で大負けして、訳が分からなくなるのが麻雀です。
どんなに真剣に考えても、どんなに苦しんでも思うように勝てないのはなぜでしょう?
答えは明確。
『他の人はもっと考えて苦しんでいる』からです。
いきなり血も涙も無い事を言ってしまいましたが、これが麻雀における真実だと思います。
苦しみ方が分からない
『何をどう鍛えたら麻雀は強くなれるのか?』
この問答に苦しんでいる麻雀打ちは、私を含め日本に何万人もいることでしょう。
「麻雀が強くなれるんだったらこの草だって食ってやるさー!」
これは『あぶれもん』という麻雀マンガの主人公が、泣きながら道端の草を土ごと食べているシーンです。
なんの脈絡もないところから、このシーンに行くのでほぼサイコです。
しかし、私の目には麻雀打ちの心境を見事に表現している名場面に映りました。
「理屈では片づけられない何か」
が存在するんだという作者の強いメッセージを感じずにはいられませんでした。
理屈で片づけられる部分
しかし、一方で麻雀には理屈で片づけられる部分もあります。
雀力はよく左脳と右脳に分けて考えられます。理論や理屈は左脳に詰め込んでおいて、場面場面で反応出来る感覚を右脳に叩き込むといったイメージです。
「麻雀が理不尽なゲームだ」
という前に、このステップは最低限クリアしている必要があります。
もし、次の三つに当てはまる項目があれば、やるべき事は明確です。麻雀の参考書を読むなり、ゲームなどで徹底的に反復練習あるのみです。
- 点数計算が出来ない
- 多面待ちが分からない
- 牌効率が理解出来ていない
基本は出来ているのか?
先日、行きつけの雀荘のメンバー(麻雀プロ団体に所属)に、こんな事を言われました。
「〇〇さん(私の名前)て、しっかりした麻雀打ってるのになぁ...」
「のになぁ」...?
え?何!?
私、もしかして遠まわしに成績の悪さを指摘されてます?
この時は、私に対しての彼なりの精一杯の賞賛として丁重にお受け取りしました。
でも、もしかしたら本当は
「そんな行儀のいい麻雀じゃ勝てないよ」
と伝えたかったのかも知れません。
もしくは、ただの店員としてのリップサービスだったか...。
(この線が一番有力?)
いずれにしろ、自分が打てると思ってる人に自分の麻雀についてコメントしてもらう事は嬉しい事です。
辿り着いた思想
私はこのメンバーの一言で、基本をマスターしただけでは勝ち組にはなれないという事を悟りました。そして、悶々と悩み続けた末に次の二つの思想に到達しました。
- 「どうやったら麻雀が強くなれるか」を考える事自体に価値がある
- 「どんなに努力しようが結果に結びつかない事もある」と、理解している事が次に繋がる
運のゲームとしたらそこで終了
いくら偶然性の高いゲームだと言っても、長い目でみれば強者と弱者は明確に区別する事が出来ます。
だからこそ、努力する意味があるのです。
そして、思うようにいかないからいつまでも考え続けるし、挑戦するのです。
麻雀との付き合い方は人それぞれ
「麻雀は娯楽」だと主張する人もいれば
「麻雀は人生」だと謳う企業家もいます。
強くなれない事に悩み続けていく事自体が、人生にとって意味のある事のように思えてなりません。その時の敗北は、その時の自分の至らなさだと受け止める事が真の強さという事で今日のところは結論付けてもよろしいでしょうか。