HABIT

習慣を身につければ世の中の大体の事はうまくいく

年齢とともに減少するものリストに「知的好奇心」というのも追加させてください

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無職チャンス

はてさて、時間を持て余すとなんだか急に本が読みたくなった。こんなに自由に時間を使える事なんて無職である今の時期を除いてこの先ないかも知れない。これはチャンスだ。きっと世間一般でいういわゆる「無職チャンス」だ。気付けば本屋に行く頻度も増えていた。読む本の数が増えると、そこから得られる情報が刺激となり知的欲求がかき立てられた。不思議だった。知らなかった事を知るとさらにどんどん知りたい事が増えてくる。いつのまにか「知ること」に夢中になっていた。

 

嬉しかった

「知ること」に夢中になれる自分の感覚が正直嬉しかった。ふと「知的好奇心の申し子」と言われ近所で恐れおののかれていた神童時代を思い出した。あの頃は世界の全てが知りたくかった。そして、それが叶うものだと信じて止まない知的欲求モンスターだった。それが、長年の怠惰な生活の積み重ねによって全く違う意味のモンスターになってしまうなんて...。お父様、お母様、どうか我が子の愚行をお許し下さい。

 

夢の根本にあるもの

知的欲求モンスターのまま大人になったパターンも当然ある。例えば「クレイジージャーニー」に出てくるような方達はその典型だろう。他にも一生をかけて研究に勤しむ大学教授や、小さい頃になりたかった職業に就いて死ぬまでその職務を全うする人達もその部類だろう。しかし、全ての人に夢があるわけではない。そして、その夢の根本にあるのが知的欲求であるような気がしてならない。

 

知的好奇心の塊

子供はすぐに「なんで?」と聞く。親はそれに対して親身に答える。しかし、あらゆる答えに対しても子供はさらなる追撃を加える。

 

「なんで?」と。

 

子供は「知ること」に対して貪欲だ。自分を含む世界の全ての対象に興味を持っている。一方、大人は「なんで?」と言わない。言わないまでも「なんで?」と思う機会自体そのものが少ない。年を重ねるごとに「知ること」に対して消極的になっていくのはなぜだろうか。

 

残された「知」

一つには大人の方が知識量が多いからという事が言えるかもしれない。しかし、この世の「なんで?」は一人間が何十年かそこら勉強したからといって減っていくようなものではない。現在、過去、未来、地球上ましてや宇宙で起きている事象まで含めれば知らないことなど無限に存在する。そうなれば、大人も子供も残された「知」の量はほぼ平等と言えるので理由にはならない。

 

大人はやるべき事を優先する

そうなると、個人の意識の問題ではないか。自分の場合は「知ること」に費やす時間を持ち合わせいていないと勝手に決めつけていた。年齢を重ねるごとにやらなければならない事が増えていく。そして、「もう大人なんだから」という自覚により自分の意志でやる事よりもやらなければならない義務の方を優先するようになる。慢性的に忙しいという感覚が新しい何かに向けられる知的好奇心を間接的に阻害していたのだ。自分はそうやって「知ること」に対して徐々に消極的になっていったんだと思う。

 

ファミリーコンピュータ

記憶を辿る。保育園に通う幼少期においては間違いなく「なんで?」を連呼していた。小学生に入ると新しい友達が出来た。たくさん遊んだし学校の勉強も楽しかった。町内のスポーツ少年団にも所属して早朝野球に行くのも楽しみだった。そしてなんといってもファミコンだ。当時の流行っぷりといったら異常で思えばこの時すでに小学生の世界の中心は任天堂だった。「ゲームのおもしろさ」と「子供たちの思考回路」の関係性は元々は単体だったのではないかと疑うほどのフィット感を示し、凹と凸でガッチリ嚙み合った。子供たちは全国各地で巻き起こるこのムーブメントにあらがう事なく次々に飲み込まれていった。そして私にも皆同様に何かが憑依し寝ても覚めても狂ったようにゲームに明け暮れた。

 

24時間では足りない

456点。20年以上も前の事を今でも覚えているんだからよほど嬉しかったんだろう。中一の一学期の中間テストの合計点だ。国語、算数、理科、社会、英語の5教科で500点満点だから得点率にして91.2%。だが、この後どんなに頑張ってもこれ以上の点数はとれなかったし、学年の順位も落ち続けた。こうして中学生になると少しづつ自分の思い通りにならない事が増えてきた。勉強のやり方にも問題があったかもしれないが、単純に100点を取るための勉強時間が確保できていなかった。部活にゲーム、好きなテレビ番組、そしてとにかく眠い。はっきり言ってパンクしていた。中学生にして既に一日が24時間では足りなかったのだ。

 

やることリスト

それでも容赦なく地球は同じペースで回り続けた。高校に入ると図体と虚栄心だけは一丁前になっていた。そして、その希望に満ち溢れた新たな世界に飛び込むとアルバイトや恋愛といったさらなる人生のミッションが追加された。次々と目の前に現れる「やることリスト」は完遂されないまま過去のそれに追加されて厚みを増していく。すべてが中途半端な消化不良となり本能に任せた優先順位で出来うる限りをこなしていった。この一連の工程の繰り返しで青年の個性はますますそのいびつさを増していった。

 

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