HABIT

習慣を身につければ世の中の大体の事はうまくいく

自分の意志で何かを決断できなくなるメカニズム

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惰性という悪魔の誘い

学生時代はやりたい事とやるべき事の判断が出来ていなかった。いや、判断しなければならないと分かっていながら敢えて避けてきた。きっと自分の周りで起きている事象の数とその展開スピードに脳が追い付いていない状態だったんだと思う。情報処理速度が間に合っていなければいちいち「知ること」に興味を持てないのだ。こうして惰性という名の悪魔の誘いに安易に乗り続ける事で自分の意志や個性は削がれていった。 

  

「当たり前」という恐怖の言葉

社会人になると勉強や部活は仕事に置き換えられ自分の意志や目的意識がさらに影を潜めた。「当たり前」とか「普通は...」といった個を真っ向から否定する恐怖の言葉に操られ目の前の義務に追われ続けた。必然的に自らの意志で選択する場面も減っていった。 それでもやろうと思えばこの先の道を選択する事は可能だったのかも知れない。

 

精神の安定を優先

しかし、「当たり前」というレールから外れて自分の意見を主張するというのには少しの勇気と大きな代償が常に付きまとう。さらに、右ならえの習慣文化が未だ根強い日本においてちょっとでも違った事をするというのは周囲からの圧力が増す事を意味する。そうであれば最初から周りに迎合してしまう方が精神の安定は保たれる。いつも何かに追われて疲弊しているから未開の地に最初の一歩を踏み出す体力が残されていないのだ。諸々のストレスを想像するといつも反射的に思考を停止させるようになっていた。

 

情報処理が間に合っていない

保育園、学校、職場と、この国にはきちんと決められた道がある。そして、それぞれの共同体には協調性を育む事や勉学に勤しむ事、利益の追求といった決められた目的が存在する。 一見ステージを進めるごとに個々人の意志で選択できる事が減ってくるようにも見える。でも実際は選択が減っているのではなく極力妥当な選択をするように個人の意識が変化していってるだけ。その時々の環境における圧倒的な情報量と各共同体の常識に常に溺れている状態なのだ。何か新しい事を知ろうという活動の根源の酸素が足りていないのだ。

 

「知ること」から始める 

これらはすべて仕事を辞めてからの発想である。やるべき事が何も無い状態は僕にたくさんの酸素を供給してくれた。一時的に「人生のすべて=自由時間」になってようやくスタートラインに立てた。さらに、無限の自由時間を消化していると、「知ること」や「情報収集」がいかに重要かを理解できるようになってくる。知識や情報が増える事は自分の今後の人生の可能性を広げてくれる事だと再確認できる。さらにそこで得た知識が「夢中になれる何か」を見つけ出すきっかけに繋がるし、選択肢も増やしてくれると思った。まずは「知ること」からはじめようと思う。いきなり夢中になれるものを見つけるのではく、今は焦らずに脳へのインプットに専念する事にした。

 

人生に無駄な事なんて一つもない

知識のインプットを日常化出来るようになると自分の事についても考えられるようになった。とても不思議な感覚だった。仕事をしている時は自分の人生をまるで他人事のように考えていた。自身を客観的に見る習慣がエスカレートし過ぎていたのだ。つまり、それだけ「世間のそれっぽい常識」に全身を委ねていたという証拠でもある。「自分は何者なのか」「一体何をしたいのか」を知りたかったらそれなりの時間が必要なのだ。死ぬまでに今の「無職の時期が無駄じゃなかった」と思える日が来ればと切に願う。

 

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